溢れるバイタリティで、日本とネパールの架け橋に!

パラス・マニ・ポカレルさん(株式会社 サミカトレーディング 代表取締役)
溢れるバイタリティで、日本とネパールの架け橋に!

バター香る大きなナンと、本格的インドカレーが味わえる「ナンマスター」が、この秋「ASIANバルMAMAYAカトマンズ」としてリニューアル。そのオーナーで、在日ネパール人協会会長としてネパール地震の際には支援活動も行ってきたポカレルさん。その原動力や想いとは…?

(プロフィール) 
パラス・マニ・ポカレル
ネパール出身。1974年生まれ。2007年、横根町に「ナンマスター」をオープン。その後、店舗拡大や食材輸入業などを手がけ、2016年9月、アジア料理も取り入れた「ASIANバルMAMAYAカトマンズ」として、「ナンマスター」をバージョンアップ。さらに同10月には知立市にスーパーマーケットもオープン。「海外在住ネパール人協会日本支部」前会長でもある。

ネパールの熱き青年が、日本で事業を。

朗らかな笑顔とスッと相手を見つめるまなざし。6人兄弟の末っ子としてネパールの首都・カトマンズで育ったポカレルさんが、最初に日本を訪れたのは2001年のこと。ロータリー財団の研究グループ交換プログラムの一員として数週間滞在し、職業交流や文化を学びます。
「元々、日本語を学んでいましたし、その印象は絶大。日本人はよく働くし、“メイド・イン・ジャパン”製品は信頼性抜群で壊れません」。
日本への興味を深めたポカレルさんは、その後、ロータリー財団の奨学金で再び来日。国際基督教大学で多文化メディアを学ぶと、そのまま日本で様々な職を経験。そして2007年、持ち前の社交性と手腕を武器に、大府で「ナンマスター」を開店させました。

ネパールの熱き青年が、日本で事業を。

定番のナンとカレーはそのままに、ナシゴレンや生春巻きなどが揃った「ASIANバルMAMAYAカトマンズ」。ランチはもちろん、居酒屋としても充実しています。

日本に根付き、広がる人脈。

「日本にネパールの食文化を紹介したくて。まずは小さな店から」。母国でも事業を手がけていたポカレルさんの日本での原点が「ナンマスター」。優秀なネパール人スタッフが提供するナンとカレーはリピーター続出。その後も亀崎店、アジア食材輸入業、インターナショナルスクール経営と幅を広げます。
その一方で、ロータリークラブや在日ネパール人協会にも積極的に参加。ボランティア精神と人徳、実業家としての手腕を買われ、協会の会長にも就任します。
「会長はみんなの相談役。当時は日本全国のネパール人から毎晩電話が来ました」。経営者、会長として奔走しつつ、同郷の女性とも結婚。一男をもうけ、公私共に日本に根付いた日々を送っています。

日本に根付き、広がる人脈。

全国に在日ネパール人は約6万人。皆をまとめる協会会長は選挙で選ばれます。ポカレルさんは「事務所設立」や「会員のデータベース化」などを提案し、見事会長に!

大地震を経て、日本とネパールの為に。

そんな中で起こったのが、8千人を越す死者を出した2015年のネパール地震。
「発生時は家族も音信不通。ドキドキが止まりませんでした」。幸い家族は無事でしたが、母国から遠く離れ、現地に行けない歯がゆさは協会会員も同じこと。ポカレルさんは、すぐに会長として指揮を執り、日本全国から5千万円もの義援金を集めます。また、ロータリークラブにも呼びかけ、家を建てる支援活動に結びつけました。
「日本の皆さんには本当に感謝しています。日本は平和で安全で仕事もしやすい。こんな国は他にありません」。日本への愛着も相まって「日本とネパールの橋渡しをしたい」と力強く語るポカレルさん。そこには、国境を越えた大きな橋が架かろうとしていました。

自由なアメリカの風を、ハンバーガーと共に。
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